コラム

COLUMN

2026.09.16

ガーナのこと

『マリで出会ったシエラレオネの青年』

Facebookの夫の投稿が心に響いたのでシェア。
私自身、ガーナ大学で出会ったシエラレオネ人のルームメイト、ローズは内戦を経験していた。
たまたまその日に教会に行かなかったから殺されなかったといっていた。内戦は、国内でも最初は遠くの方で起こっていることだと思っていたら、気がついたら、街中に遺体があったと。
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セネガル旅行からガーナへの帰りに、空港で足止めされたギニア。そこで英語が話せるからと頼らざるおえなかった、シエラレオネ人。最初はこの人信用しても大丈夫かな?と思ったけれど、一緒にご飯食べたら、内戦で逃げてきて家族がどこにいるかわからないとさめざめと泣きだした。
みんないろいろな思いを抱えて生きている。

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いまから25年ほど前。
マリ共和国を訪れた際、シビという小さな村で1週間ほど過ごしました。
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ガーナ人ほどの陽気さはないものの、異邦人の私を時に優しく、時に楽しく受け入れてくれたシビ村の人たち。
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その中に、ひとり寂しげな表情でたたずむ青年がいました。
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すごく気になったので村の人に聞いてみると、
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「彼はシエラレオネ内戦の難民なんだ。」
と教えてくれました。
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彼に声をかけてみると
嬉しかったようで、居候していたマッシュルーム型の土の家に招待してくれました。
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物静かな語り口で話し始めた彼。
「そう。僕はマリ人じゃないんだ。」
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「シエラレオネで内戦があったのは知っているよね?」
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「うん。」
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「内戦がおこり、着の身着のまま。手元にあったお金を持って、戦闘の中をかいくぐって逃げてきたんだ。」
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「家族とも離れ離れになってしまい、今はどこにいるのかもわからないんだよ。」
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「一旦、隣国のギニアまで逃げたんだけど、難民への待遇が良くなくてね。マリまで逃げてきた。」
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「でも、僕はお金があったからここまで逃げてこれたんだ。」
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すると、彼は部屋から写真の束を持ってきて、
シエラレオネでの楽しかった生活を話してくれました。


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「実は外交官になるのが夢で、大学で勉強をしていたんだ。」
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「これは友人たちと、毎日ジムに通っていた時の写真。
これはアメリカ人の友人でね。これが姉妹で、これがお父さんとお母さんで…。あの時は楽しかったな…。」
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物寂しげな表情だった彼が、少し明るい表情になり、
時折笑顔も見せてくれました。
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写真を見る限り、アフリカの中でもかなり裕福な暮らしぶりだったことがうかがい知れました。
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「でも、内戦で全部失ったよ。」
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「外交官になる夢も、楽しかった暮らしも、そして家族も。」
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「家族はどこにいるかも、生きているのか、死んでいるのかすらもわからないんだ。」
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寂しい表情を浮かべながら、淡々と語る彼。
掛ける言葉がありませんでした。
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「また、遊びに来てね。」
そう声を掛けられ家を後にしました。
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1991年に勃発したシエラレオネの内戦は、11年間続き、別名ダイヤモンド内戦とも言われています。
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内政の腐敗、先進国の資源の争奪、ロシアやアメリカなど大国から流出し、国際的武器商人をとおして供与された大量の武器などが内戦を引き延ばしたとも言われています。
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この時悪名高い「少年兵」も大きな問題となっていました。
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遠いアフリカの国で起こる内戦も、元をたどると先進国の在り方にもつながってきます。
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2026年4月21日、日本政府は防衛装備移転三原則と運用指針を改正し、【殺傷能力のある武器の輸出】が可能となり、条件付きで戦争当事国への武器輸出も可能となりました。
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日本製の武器が、戦争当事国にわたったのち、
その武器がどこに流れていくのか、本当に管理可能なのかな?
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日本が戦争に関わざるを得ない構造へ、一歩一歩確実に進んでいる感じがして、なんだか胸の奥がざわつき嫌な感じがしています。
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『世界はみんな蒼い空でつながっている』
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きっとシエラレオネの青年もこの蒼い空のもと今日を生きている。
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あれから無事家族と再会できているのかな?
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『戦争と武器のいらない平和な世界』の実現。
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全ての戦争被害者の想い。
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そう感じるシエラレオネ青年との出会いでした。

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